ニュースを見て疲れる理由を、自分なりに言語化してみた
特別に深刻な出来事があったわけではないのに、
ニュースを一通り見ただけで、どっと疲れてしまうことがあります。
情報を知っただけなのに、
気持ちが重くなったり、頭の中が落ち着かなくなったりする。
そんな感覚を覚えることが、以前より増えたように感じています。
なぜニュースを見るだけで、こんなにも疲れるのでしょうか。
情報そのものより「感情」に触れている感覚
ニュースは、事実を伝えるものです。
けれど実際には、
不安、怒り、悲しみ、焦りといった感情が、同時に流れ込んでくることが多いように思います。
文章の表現や見出し、映像の切り取り方によって、
知らず知らずのうちに感情を動かされている。
情報を受け取っているつもりが、
感情に触れ続けている時間になっているのかもしれません。
「知ること」と「背負うこと」は違う
ニュースを見ていると、
「知らなければいけない」
「目を背けてはいけない」
そんな気持ちになることがあります。
けれど、すべての出来事を自分の中に抱え込む必要はない、
そう考えるようになりました。
知ることと、感情的に背負い続けることは、同じではありません。
距離を取ることは、無関心とは違うのだと思います。
見ないという選択について
ニュースを見ない日を作ると、
少し気持ちが静かになることがあります。
それは、現実から逃げているというより、
自分の受け取れる量を調整している感覚に近いです。
常に最新の情報に触れていなくても、
日常は続いていきます。
その事実に気づくだけでも、少し楽になりました。
自分なりの距離の取り方
今は、
・必要以上に見ない
・疲れているときは距離を置く
・後からまとめて確認する
そんなふうに、ニュースとの付き合い方を調整しています。
完全に遮断するわけでもなく、
流され続けるわけでもない。
その中間くらいが、自分には合っているようです。
今感じていること
ニュースを見て疲れるのは、
感受性が弱いからでも、現実に向き合えていないからでもない。
ただ、情報が多く、速く、強い時代に生きている、
それだけのことなのかもしれません。
このブログでは、
そうした日常の違和感も、無理に結論を出さずに残していきたいと思っています。

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